かもしれない
Facebookのグループの投稿で、同級生の訃報を知った。
彼とは高校時代そんなに深く関わらず、一緒のクラスになった時に文化祭や体育祭のテンションの高い時に皆で写真を撮ったくらいだ。
5年前Facebookで繋がった際にメッセージのやり取りをしていたのを思い出し、開いてみた。
最後の彼のメッセージに対して、私は返事をしていなかった。当時付き合っていた人と別れる別れないで揉めていて余裕がなかったんだろう、メッセージを見ただけで終えていた。
ものすごく罪悪感に包まれた。別に悪いことをしたわけじゃない。メッセージも、終わりが見えていたやり取りだった。
それでも。
やり取りを続けていたら、同じ関西だし集まろうかって話になっていたかもしれない。高校時代より仲良くなっていたかもしれない。
「かもしれない」という想いは、意味のないことだとわかっている。
それでも想わずにはいられなかった。
これからは、今いる知り合いとのやり取りを大切にしようと決めた。